Tさんに夫がいなくて、片親のR子が知的障害があることをチクチクと言うようになり、両家の最初の食事会以降の雰囲気はあまりよろしくない感じに。
K男父は空気で頼りになりそうもないが、それでもK男は熱心に守るようなことを言ってたから、R子を頼みますとTさんは頭をさげたとも。
端で聞いているなら、K男母が出ばってきた段階でとりやめて破談にしとけば?ですが、TさんはR子が嫁にいけるなんてもうないかもと思って我慢していたとか。
結局K男の懇願に押し切られた形で結婚が決まり、R子はTさんの店のある町から隣県のK男家に嫁いでいきました。
結婚生活は、初めのうちからK男母が有無を言わせず同居にしていたそうです。
K男家は専業ではないが田畑をもっていて、後から聞けばK男母は草むしりだ農薬散布だ肥料やりだ、他にもきつい家事やらせたりまるで女中か奴隷のように、R子をつかっていたと。
結婚後1年ぐらいたってお腹が大きくなりはじめても、かまわず炎天下でも作業させご近所の噂になり、いつしかTさんの耳にも話が聞こえてくるようになったそうです。
K男は最初のうちはK男母をいさめたり止めていたようですが、だんだん億劫になったらしく母親に同調するようになり、重労働させても出産がなぜかうまくいったためこれで逃げないとでも思ったのか、R子を見下したり馬鹿にするようになったそうです。
K男母は調子に乗り、とうとうR子の産んだ子など孫とは認めないと怒鳴ったそうです。
「カ〇ワの産んだ子など〇タワに違いない!どうせそれも知恵遅れだろ!穀潰しが」と。
R子もさすがに限界になったといいます。
知的に障害があるとは言え馬鹿にされてるのは理解できるし、言葉の細かい意味はわからなくても丸ごと覚えて誰かに伝えることはできたので、近所の顔見知りの家に行き「電話を貸してください」、「この番号にかけてください」と頼み込んでつながった。
Tさんに泣きながら、この言葉を一言一句言ったそうです・・・