A『お願いしまぁすうぅ!!妻と子供には何も…!』私「あなたの債務は私が一番よ。あなたの人生めちゃめちゃにしてやる!まずは医師免許の剥奪かしらね^^」A『えっ…』→結果…

 

元々おかしかったのが、さらにおかしくなって、正常に戻ったというかんじだ。
あ○○様の名前が登場する回数が減り。
(他の入院患者や御家族のバッシングの理由の一つだった)
奇妙な腕輪や首輪などの装飾をみにつけなくなっていた。
そして、段々と表情が暗くなった。
N様はとても優秀なお医者様で、両親にもケアが必要だと考えた。
そして、N様による両親のカウンセリングがはじまった。
一方、私は、病院のボランティアとして毎日4時間働かせてもらえる待遇を勝ちとっていた。
大学生の頃、テラスで、友人たちと語り合った将来設計。
何歳までに結婚してとか、語り合ったっけ。
彼氏もいないのにとつっこまれて、あなたもでしょと小突くのが、幸せなことだったとは。
でも、それを取り戻せる位置にいる。取り戻す資格があると示せる立場にいる。
とても、幸せでした。

 

254: 3 2011/06/30(木) 15:54:03.32 ID:Vn9h8hXS0
充実した毎日だったから、待つのは辛くなかった。
29歳のバースデーも間近に迫った日。N様が顎をぐっと張って切り出した。

 

「私は医者として、今からとても間違った事をします。
けれど、医者の持つべきモラルに恥じない行いもします。
多分、一生この事について、思い悩むでしょう。
しかし、おそらくこれは、あなたが正常に戻るための、大事なことです。
ですからどうか。」

利用者100万人

 

こんな切り出し方だったろうか。
やたら勿体ぶった、抱えた悩みの大きさがわかる切り出しだった。
結構ハンサムなかおが、苦悩に歪み、かとおもうと憐憫を示し、一定しなかったのだけは、はっきりおぼえている。
私は、20歳の頃に、○○学校の生徒に拉致されて、輪カンされた。
救出されたときには私はヘラヘラと笑い続ける状態だったらしい。
病室のそんな私を見て、当時つきあっていた男性は、吐いたそうだ。
それっきり二度とくることもなくなった。
それ以来私は何に対しても反応することがなくなった。
両親は戦い、そして○○学校と、生徒達の保護者から
事態を秘密にするかわりに、示談金として三億円ほどの金を得た。
恐らく自分たちがタヒんだ後も廃人の私が生きて行けるようにと
その金には手をつけずに、必タヒに働いて私を病院にいれてくれていたそうだ。
「私は、ご両親を尊敬します」
N様はこう仰った。
しかし、面会に行くたびに魂の抜けた状態の私を見るうちにだんだん辛くなっていたらしい。
そこにあ○○○様を祀る教団の人間が声をかけてきたそうだ。
なるほど、やっぱり、大事なお名前。

 

256: 6 2011/06/30(木) 15:59:14.36 ID:Vn9h8hXS0
「彼は、こう言ったそうです。あなたの娘は試練から逃避してあ○○○様に見捨てられた。したがって、もう一度試練に挑ませる以外、彼女は追放から帰還できない」
 「試練とは、無理やり行為されたことですよね」
「…うっ」
 「私、A医師がとても怖かったんです」
「…うっぐひっ」(N様は泣き出した)
 「Aが、私を犯したんですね」
「…ふゎい」(号泣しながらN様は頷いた。私は泣き止むのを待った)

 

引用:MOJOLICA MOJORCA
画像出典:photo AC

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