251: 3 2011/06/30(木) 15:43:36.75 ID:Vn9h8hXS0
27歳になったある日。チャンスが唐突にやってきた。
外の病院から、偉い先生の一団がきたのだ。
彼らは隔離病棟にやってきて、特に私をとても興味深く観察していた。
声はきこえなかったが、Aはやたらと彼らを急かしていた。
最初に抱いた恐怖からはじまり、わたしはAを信頼していなかった。
この時、Aは私が外に出てはまずいのではないかと思った。
彼の考えとは裏腹に、私は普通に振舞った。
久しぶりに見る、見慣れてない顔。
手を振ったり、ガラス越しに筆談してみると、一団は硝子の向こうで院長先生と何かを話しはじめた。
結論から言うと、私には外出許可が降りるようになった。
一団と私は面談し、そこで私は精一杯、私が快方に向かっていて
この牢獄のような場所から解放するに足る人間だとアピールした。
アピールといっても、媚びるわけではない。
ただ、普通にするだけ。妙な態度のAに対する怒りを隠しただけ。
仕事もさせてはもらえないけれど、週一で、3時間も自由になった。
仕事っぽいことでもして、せめて気を紛らわそうと
近くの公園にでかけていって、清掃することにした。
かの一団は、この病院の上部組織の医療法人のお偉方だった。
彼らは、幻覚の世界から戻ってきた私に、大変興味を示してくれてた。
私は彼らの求めには素直に応じた。
そして徐々にAへの不信をあらわにしていった。これが、私の策略。
担当医師をAから別のものにさせたかった。
よしんば、転院を勝ち取ろうとも。
28歳のバースデーに、私は転院というプレゼントを勝ち取った。
一団の中でも最も若手だった40代のN様の病院が私の転院先に決まった。
転院の日、Aが私を凝視していたのが、とても気になった。
253: 3 2011/06/30(木) 15:48:10.21 ID:Vn9h8hXS0
私はN様のもとで、みるみるうちに回復した。
それはそうだ。目が覚めて以来のストレス源は病院そのもの。
監禁状態のストレスは計り知れない。
N様の病院では、研究対象もあって、専用冷蔵庫(わお)のついているちょっぴり豪華な軟禁状態から。
半年もしないうちに、大部屋に近い個室にうつらせてもらえた。
大部屋の入院患者や御家族からは、随分と酷い言われようだったけれど。
毎日、窓から、近くの病室の賑やかな声が聞こえる環境は
嫌味の千や万を言われてでも価値のあるものだった。
やがて、元精神異常者に対するバッシングも消えた。
このころから両親の様子が少しづつおかしくなっていった。