俺は今までも母のことは姉たち任せだったし、タヒぬ前に言葉すら交わせなくて申し訳ないと泣いた。
姉たちは3人ともあんまり泣いてなかった。
俺は自分が喪主になるつもりで、姉たちにどうすればいいかを訊いた。
すると一番上の姉が、
「あんたは何もしなくていいから。喪主はわたしがする。お母さんだって私たちのうちの誰かにやってもらいたいと思うから。」
といった。
その時俺は、母親と自分の妻の関係があまり良くなくて、実家と疎遠になってたせいで、姉たちがおれたち夫婦に怒ってるんだなぐらいに考えていた。
母の葬儀は本当に立派だった。親父の葬儀よりもたくさんの弔問客がきた。体裁だけの人もいたろうが、本当にたくさんの人が母のことを褒めタヒを悲しんで涙を流していた。
正直、俺は母は家に縛り付けられて、一人で何もできない人だと思いこんでいた。祖母や親父に口答えひとつせず、俺が結婚してからは、本家の法事の段取りや、しきたりや何やかやを俺や、妻に何度も言ってきたから、古いしきたりにとらわれて頭が固くなった人だと邪険に扱い、俺の仕事の関係で実家から離れたところに転勤になってからは、1年に1度、顔を出すか出さないか程度の関係になっていた。
父親や母親の兄弟や、分家筋の年寄からは母親に感謝して大切にしなさい、と何度も注意されていた。
俺の中では田舎で、さびしい老後を一人で送る哀れな母だと思い込んでいた。
39: 名無しさん@おーぷん 2014/07/25(金)12:32:59 ID:o4Wq5pcs1
母がタヒんで、初七日が済んだ頃、一番上の姉から相続のことで話があると俺は呼び出された。
もちろん俺は家を継ぐつもりだった。俺の妻もそのつもりだった。
そして、俺は子どもを妻の実家に預けて、夫婦で実家に帰った。
そこには、親父の兄弟(兄、弟、妹×2)と姉3人と、3番目の姉旦那と弁護士がいた。
まずみんなであいさつを交わすと、早々に財産の明細と分与の話になった。
財産は俺の想像しているよりかなり多くあった。
母の遺言で、親父の会社の株と親父が受け継いだ土地は、親父の兄弟に全部残されてた。
そして、母親の住んでた家は、兄弟のうちだれかほしい人がいればその人に、
もし誰もいらないのなら売って現金にして4等分すること。
母親名義の株券は、姉たち3人で分けること。
預金は、俺に1億。残りは姉3人で等分に。
貴金属も姉3人で等分にということだった。